現役テレビ局員の映画・ドラマ研究記

在京キー局で暗躍するテレビマンが送る、読んだら誰かにこそっと話したくなる映画・ドラマの徹底考察! ※本サイトの見解は全て筆者個人のものであり、特定の会社を利するものではありません。

『アベンジャーズ』よ、オスカーに輝け!

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今年のアカデミー賞の傾向を見ていて割と、いや、かなりの勢いで私の中で生まれたある予想がある。

 

『アベンジャーズ/エンドゲーム』、来年のオスカーで作品賞獲るんじゃないか??

 

数年前まではこんなことを言っても誰も賛同してくれなかったかもしれないが、今となっては頷いてくれる人も少なくないと思う。

マーベルが初めて『アイアンマン』を作ってから10年。ヒーロー映画はかつてのような単なる娯楽映画から離れて、強い社会性を持つようになった。

さらに『ロード・オブ・ザ・リング』以降、大作映画と言われるエンターテイメント性の高い作品が長い間オスカーから離れていたが、ついに今年『ブラックパンサー』が作品賞にノミネートされ、躍進を遂げた。

今年のオスカーが娯楽作から私小説的作品まで、これまで考えられなかったような幅の広さで映画を表彰していた姿を見ていると、アベンジャーズシリーズの集大成となる『エンドゲーム』の出来次第によっては来年の賞レースの先頭を走ってもおかしくないように思えるのだ。

ということで、映画界・マーベル映画の両面から『アベンジャーズ/エンドゲーム』がオスカーを獲る理由について考えてみよう。

 

『ロード・オブ・ザ・リング』の前例

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前述したように、最後に娯楽映画がアカデミー賞作品賞を受賞したのは、2003年公開の『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』まで遡る。今からなんと16年も前!

それまでは実は『タイタニック』や『ブレイブハート』と言った、割と一般の観客からも愛された映画が数年に一度の割合で作品賞に輝いている。さらに遡ると『ロッキー』だったり『サウンドオブミュージック』だったり、今もよく知られている作品の名前が数多く並ぶ。

オスカーは必ずしも小難しい映画を表彰する団体ではなかったのだ。

そしてここ最近の雰囲気を見ていると、その流れが戻ってきているように感じる。

例えば提案段階で猛反対にあったけれども、今年のオスカーには「娯楽映画賞」なる部門が設けられることが真剣に討論されていた。

これは明らかに『ブラックパンサー』に日の目を当てたいという思いからきているものだったと思う(ディズニーの見えざる力が働いた可能性も0ではないけれども)。

結果的には娯楽映画部門はなくなったものの、『ROMA』や『女王陛下のお気に入り』と言ったかなりの映画鑑賞的な経験値を必要とする「秀作」と、深い意味がわかってもわからなくてもみんなが楽しめる『ブラックパンサー』が同じ土俵に立っているのは最近のオスカーにはない光景だった。

そんなわけでヒーロー映画という「娯楽超大作」にも評価の流れがきていることに加えて、『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』の例がかなり参考になる。

というのも、シリーズ全体で映画としての出来で言うと『王の帰還』よりも『二つの塔』の方が優れていた(という声が多い)からだ。

ではなぜそんな『王の帰還』に作品賞が与えられたかというと、『ロード〜』というシリーズが与えた映画界への功績に対する功労賞的な意味合いがあったからだという。

簡単に言えば、『王の帰還』に作品賞をあげたのではなく、3年で3作公開された全てのシリーズ作品に対しての賞ということだ。

もしこの流れがこれまでの10年間の集大成となる『エンドゲーム』に適用されるとしたら、『王の帰還』と同じパターンになってもおかしくない。

 

『エンドゲーム』で描かれるテーマ

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もちろん、作品として素晴らしくなければオスカーには見向きもされない。

しかし、『エンドゲーム』には素晴らしくなることが予想できる要素がいくつもある。

簡単に二つにまとめると、

・現代アメリカにおける「正義」の問題を真剣に問うている

・マーベル映画を根本から変えた天才・ルッソ兄弟の集大成である

となる。特に一つ目の理由は大きい。

 

アベンジャーズが問う正義

アベンジャーズシリーズは、『キャプテン・アメリカ/ウィンターソルジャー』あたりから、かなり意識的に現代社会における正義の問題を取り扱ってきた。

 

『ウィンターソルジャー』にしろ『シビルウォー』にしろ、いつもキャプテンアメリカが戦うのは「目の前で困っている一人を救う正義」を守るためであり、「誰かを事前に排除したりすることで得られる先々の正義」とは対立してきた。

それが極限まで高まったのが『インフィニティーウォー』であり、「全宇宙の種を守るために平等に半分の生命を消滅させる」という、宇宙規模で考えれば正義である論理を持つサノスと、キャップを中心とする「目の前の人を守る正義」を持つアベンジャーズが対決し、サノスが勝利する衝撃の結末を迎えた。

一度破れたアベンジャーズの正義は、一体どのように復活し、変化するのか。変化しないのだとしたら、どう守るのか。『エンドゲーム』で終結する正義の問題は、今のアメリカ社会どころか世界中が悩んでいる問題でもある。

そういう意味で、『アベンジャーズ』シリーズはいつの間にか大きな社会的意味を持つ作品にまでなっているのだ。

 

ルッソ兄弟の集大成

そしてマーベル映画にそこまでの社会情勢を乗せたのが、前述の『ウィンターソルジャー』からキャプテンアメリカ作品および『インフィニティーウォー』、『エンドゲーム』の監督を務めるルッソ兄弟である。

正直言ってマーベルスタジオは、

・ルッソ兄弟

・ジェームズ・ガン

・ライアン・クーグラー

の三人の天才がMCUに関わらなければ、ここまでの規模にはなれなかっただろう。

特にルッソ兄弟の功績は大きく、キャップの第1作『ファーストアベンジャー』でうまくいかなかった点(ハルクやソーに比べアクションがどうしても劣る)を、007のようなポリティカルサスペンスに舵取りをすることで絶対的な長所に変え、さらにマーベル作品全体に社会的意味を持たせても浮かないことを『ウィンターソルジャー』を通して証明した。

『アイアンマン3』や『ソー2』などで地獄のような作品を連発していたこの時期のマーベルは、『ウィンターソルジャー』によって突破口を見出すことになる。

その流れをヒーロー群像劇として描くことにジェームズ・ガンが成功し、ライアン・クーグラーが黒人ヒーローを通して現代とシンクロさせて『インフィニティーウォー』へと繋いだ。

正直この記事一つで書くにはあまりに複雑すぎる流れなのでまたの機会に譲るが、ルッソ兄弟が作り上げた「現代社会の正義とは何か?」を体現するヒーロー像は『エンドゲーム』で一区切りを迎え、さらにルッソ兄弟自身も次作でマーベル映画から卒業することを公言している。

つまり、アベンジャーズ自体も一つの正義の形を示して終わることが濃厚で、ルッソ兄弟の熱意も尋常ではないことが現時点でわかるのだ。

 

空想や期待も混じってはいるが、娯楽映画がオスカーの舞台で再び評価されるようになってきた情勢と、現代社会をヒーローを通して描くマーベルの集大成として、『アベンジャーズ/エンドゲーム』が来年作品賞を受賞する姿が見えてとてもワクワクしている。