2016年、日本でジブリ以来となる超特大ヒットを飛ばしたアニメーション映画『君の名は。』
そのハリウッドリメイク版の監督をマーク・ウェブが務めることが明かされました。
マーク・ウェブ監督といえば「ほろ苦い恋愛」や「若者の苦悩」をかなり緻密に映画に映し出すことでファンの多い監督です。
この発表に対し、オリジナル版を監督した新海誠は以下のようにリアクションしています。
ハリウッド版『君の名は。』、監督がマーク・ウェブと発表になりました。大好きな監督です、うれしい! 僕たちの新作も負けないようにがんばります。『天気の子』にはマーク・ウェブの『(500)日のサマー』オマージュもこっそり紛れてたりしますので笑、彼のファンの方はそんなところもお楽しみに。 https://t.co/7B8jUiRoLG
— 新海誠 (@shinkaimakoto) 2019年2月15日
このようなかなり前向きな反応と共に、マーク・ウェブがメジャーになるきっかけとなった作品『(500)日のサマー』のオマージュが隠れてたりすると明かしています。
さらに、現時点でわかっている情報だけでも、単なる焼き直し的リメイクで終わらせるつもりはまったくないことが読み取れるので、少し考えていきましょう。
製作元は超有名なバッド・ロボット
ハリウッド映画を鑑賞するとき、このロゴを見かけたことがある人も多いのではないでしょうか。
これは、J・J・エイブラムスが所有するハリウッドの映像制作会社「バッド・ロボット・プロダクション」のロゴマークです。
これまで手がけてきた映画は、
・ミッション・インポッシブルシリーズ
・スター・トレック
・新スターウォーズ3部作
など、主にJ・Jが関わっている作品をメインにクオリティの高い大作ばかり。
お金だけかけて大味で終わる作品ではなく、しっかりと作家性や社会性を込めた味わい深い作品をつくる会社なのです。
こことマーク・ウェブがコラボレーションすることは初めてだと思いますが、この時点でもリメイクに対してどれほどの意気込みで挑んでいるかがうかがえます。
あらすじで見えたオリジナル版との共通点・相違点
今回の監督発表のリリースと共に、ハリウッド版『君の名は。』のあらすじも公開されていました。
田舎に住むネイティブアメリカンの少女とシカゴに住む少年が、お互いの体が入れ替わる不思議な現象を体験するところから物語が始まる。そして来るべき災害を予知したふたりは、その命を救おうと相手に会いにいく……(映画.com)
二人の体が入れ替わり、災害の被害を防ごうと動き出す展開は同じです。
しかし、ネイティブアメリカンの少女とシカゴに住む少年が入れ替わるという変更は大きな違いを生むでしょう。
日本版の「神社の伝統を継承する少女・三葉」という設定を
神社→ネイティブアメリカン
と解釈したところもあるかと思いますが、それが原住民となるとかなり話がややこしくなってきます。
ネイティブアメリカンは今現在、アメリカにおいて人種的にも政治的にも迫害を受けている人々だからです。
この点をどのように処理するのか、単なる慣習の違いとしてユーモラスに描くこともできますし、彼ら・彼女らが受けている迫害を直に入れ替わりを通して体験する構成にすることもできます。
ラブストーリーの名手でもあるマーク・ウェブが撮ることもあって、単純な話にはならないとは思いますが、おそらく後者をメインにした話になるのではないかと思います。
それは、新海誠が自作を通して描き続けてきたテーマ「断絶」と大きな関わりがあるからです。
新海誠が描き続けてきたもの
これは様々な角度から検証されていることでもありますが、新海誠は自分のアニメーションを通して「男女の断絶」を表現し続けてきた作家です。
『言の葉の庭』では、先生を好きになってしまう少年の苦悩を通して、「年齢による断絶」を描きました。
『秒速5センチメートル』では、幼い頃愛し合った二人が遠く離れ、大人になっていくにつれてその気持ちも秒速5センチメートルのスピードで離れていくという「空間と時間による断絶」を描いています。
そして『君の名は。』では再び「時間による断絶」を三葉と瀧の生きる時間がそもそも異なるという設定で描き、『秒速』では成就しなかった恋愛をこちらで果たさせることで精神的な続編にするという構造をとっています。
このように、新海誠の作品を見ていく上で「断絶」の要素は欠かせないものになっているのですが、今回のハリウッド版の初期設定の段階でも、これらに置き換わる「断絶」の要素があるように思えるのです。
それはアメリカ市民とネイティブアメリカンという、ある意味での人種的な「断絶」です。
今まさにアメリカ大統領がメキシコとの壁を作ろうとしていることからもわかるように、アメリカ社会も「あちら」と「こちら」という社会的な壁が大きな問題となっています。
そういう社会情勢を考えると、『君の名は。』が持っている「断絶」の要素を社会的なものに再解釈して表現することも可能性として十分あるのではないかと思います。
彗星はどうなる?
もう一つ気になるのが、入れ替わりが起きた二人が予知して防ごうとする「災害」が何になるのかという点です。
新海誠作品の中での彗星は、明らかに東日本大震災を発想の根元に置いています。
監督自身にその想定があったかどうかは定かではありませんが、この映画を見た多くの人が彗星の中に3.11を思い出したはずです。
『君の名は。』では、これまでの日常が突如彗星(=大地震)という個人の力ではどうすることもできない災害によって破壊されたものを、男女の恋愛という超個人的な絆を通して回復させたという点が、その当時の日本人の共感を集めた一因だと思います。
つまり、あの彗星のモチーフはものすごく現在の日本的なものの象徴でもあったのです。
アメリカでも自然災害などは日々起こっていますが、理不尽なまでの力でこれまでの生活を変えられてしまったような体験といえば、2001年まで遡る必要が出てきます。
しかし『君の名は。』の話はおそらくシカゴになりますから、9.11的なモチーフを作り出すことはなかなか無理筋です。
ここまで考えるとかなり妄想も入ってきますが、ハリウッド版での災害はどうなるのかも気になるところですよね。
というわけで、ハリウッドリメイク版の『君の名は。』についての期待もこめた予想でした。
マーク・ウェブ監督については、「(500)日のサマー」はもちろん、「アメージング・スパイダーマン」シリーズも、「ギフテッド」も素晴らしい作品なので、また記事を描きたいと思います。