2019年冬クールで最も「トンガっている」民放ドラマ、『3年A組 今から皆さんは、人質です』。
ドラマにおいてはクールでかっこいい役柄が多かった菅田将暉が「クレイジーな金八先生」を振り幅全開で演じています。
こういうめちゃくちゃな役柄は、映画では菅田くんがよく演じていた(『溺れるナイフ』とかそうですね)んですが、生徒たちをなぶって悦楽の表情を浮かべる先生役をやるなんてなかなか想像がつきませんでしたね。
『3年A組』は近年稀に見る謎多きドラマとなっていて、主なものは以下の通り。
・生徒を人質にとった柊の本当の目的はなんなのか?
・景山が自殺した本当の理由は何か?
・生徒たちがどのようにしてこの状況から脱するのか?
そして、
・この高カロリーな展開で10週分話がもつのか?
これらの謎を含め当ブログの大好物である「モチーフ探し」などもしながら第1話、第2話をまとめて考察してみましょう。
第1話の冒頭シーンと日付が持つ意味
まず印象的だったのは第1話の冒頭シーン。
菅田将暉演じる柊先生が、「俺に教えられることはもうない」と言い残して屋上から身を投げるシーンでした。
物語のクライマックスを最初に示すことでその空白を視聴者側に想像させて興味を引くという、古くから様々な作品で使われてきたテクニックです。
ドラマにおいては、11週にも渡る撮影期間や放送中の脚本変更の可能性などで最終回が確定していることが少ないためなかなか見られない場面ではあると思います。
しかし最近では、このように「ラストに見える」シーンを冒頭に持ってきておいて、終盤になってからそれはフェイクだったという、これまでの定番を逆手にとった手法も試みられている(『バッド・ジーニアス』など)ため、
最後は柊の身投げで終わる
と結論づけるのはまだ早いのではないか?と思います。
また、このシーンで気になったのは日付。
3月10日
とタイトルが出た瞬間に、ドキッとした人も多かったのではないでしょうか。
やはり3.11を連想してしまう日付ではありますよね。
この日付に関してもいくつか考えられると思っていて、
・本当にこの事件がドラマ上の2011年3月10日で終わる
・単純にドラマの最終回がリアルタイムの2019年3月10日にあたるからそう設定した
・2019年3月10日に終わるのだが、震災に関連した何かが物語でキーとなる
の3パターンあるのではないでしょうか。
一番最初の説があるとするならば、
「3年A組の生徒が命からがら脱出したとしても、翌日にはさらなる困難が待っている」
という、今後の物語の文脈を視聴者側に託す最終回になることが予想されます。
ただ、この説には設定上大きな問題があって、柊が現在出している警察への要求が、「SNSに登録している5000万人全員が100円振り込む」です。
これはLINEかTwitterがモデルとなっていると考えられますが、2011年3月当時にそこまで全国的に普及しているSNSはありませんでした。
なので、時間軸は2019年にあると考えるのが自然でしょう。
二番目のドラマの時間軸と現実世界の軸を合わせた説に関してですが、こう考えるのが最も妥当な線だと思います。
視聴者にドラマとの世界線が地続きになっていることを意識させる効果もありますし(あんな世界と繋がっていたくないですが)、1話ごとに1日ずつ進んでいって最終話でついに追いつくことへの言い知れぬ快感もあるのではないでしょうか。
また、わざわざ現実世界とリンクさせるのであればもう一つ別の仕掛け方も可能で、制作側はそれを狙って時計を合わせたのではないかと私は予想しているのですが、それについては後述します。
そして三番目の、「震災に関連した何かがキーとなる」説に関して。
物語上で関わってくるとしたら柊とその元カノの先生との話になってくるのでしょうが、ここだけは想像の範疇を出ないので予想のしようがありません。
作品テイストに見える様々なモデル
『3年A組』を見ていて、特に第1話が放送された時に強烈に感じた印象がこちら。
すげえ岩井俊二っぽい #3年A組今から皆さんは人質です
— 池田 早朝 (@Ikeda_sakiasa) 2019年1月6日
作品自体のテイストはもちろんなのですが、 登場する多くの要素が「岩井俊二っぽさ」を備えています。
・ビデオで撮影した色味のきついざらついた映像
・プールで泳ぐ女性
・学校内に存在するいじめ
特に自殺した影山を巡る話などは、岩井俊二が作品の中で繰り返し描く「精神を攻める陰湿ないじめ」をかなり彷彿とさせます。
影山のドキュメンタリーを撮影していた時のビデオ映像として、現実を誇張したようなキツめの配色の映像が流れる点も同様です。
前クールでも『中学聖日記』は原色系のカラーを強調した画面作りをしていたのですが、学校を舞台とした鮮烈な作品はなぜか岩井俊二っぽい画面の色を持つ傾向がありますね(それだけファンが多いということなのでしょう)。
また、Twitter上では『13の理由』に似ているとする声も多数上がっていました。
こちらも一人の生徒の自殺の理由を解き明かしていくミステリー形式のドラマです(Netflixオリジナルドラマ)。
自殺した女子生徒が遺書として残したテープは彼女の自殺に関係のある生徒13人に手渡され、全員が直接的な原因ではないもののそれぞれがどこかで彼女の悲鳴に気が付いていたら自殺を防げたのではないか、という不条理劇的な香りのするドラマでした。
このドラマでは全13話のうち1話ずつ、自殺の原因となった人とそのエピソードが紹介されていく形式になっていて、『3年A組』と同じ構成をとっています。
『3年A組』でも、第1話が永野芽郁が中心のエピソード、第2話は川栄李奈が中心のエピソードとなっていましたし、俳優さんの配置からしてもしばらくはこの形式を取り続けるものと思われます。
他にも『悪の教典』などとの類似を指摘する声もありました。
こちらは学校を舞台にした密室ゲームものという点が同じですね。
私はもう一つ、昔放送されていた天海祐希主演の『女王の教室』を思い出しました。
本来ならば生徒の庇護者である先生が、実質的な力を行使することによって恐れられる構造と共に、それ以上の「何か大事なこと」を伝えようという目的を先生側が持っている点も似通っていますね。
ただ、近年の体罰問題などの影響か、このような「先生が生徒に直接牙を剥く」ドラマは見られませんでした。
そこに菅田将暉という生徒側に非常に近い年齢の俳優を起用し、生徒側がかなりの頻度で暴力を働くため、防衛手段として体罰を加えたというロジックを使うことでこうした学園ものドラマに対する批判を見事にかわしている一面もあります。
柊が要求したものは?
第1話の終盤で明かされた柊の人質解放の条件は、「SNS・マインドボイスの登録者5000万人が100円ずつ支払うこと」。
ドラマを見る限り、マインドボイスはLINEみたいなTwitterでしたね。LINEっぽい画面の中でそれぞれが好き勝手つぶやいている。おそらく「教室監禁スレ」みたいなものが立ち上げられて拡散されているイメージなのだと思われます。
柊の要求額は占めて50億円になるわけですが、柊自身が金目当てにやっているわけではないことは明らかでしょう。
彼は学校が一人の教師によって占領されている様子、また自殺した生徒に対して命がけの教えをする様子を通して何かを伝えようとしているのだと思います。
それがSNSによって拡散されることを狙ってマインドボイスでの募金を条件としたのでしょう。
ただ、「SNSといえば拡散・共有」のような、飽きるほど言われている要素だけでは片手落ちで、「なぜ一人100円というマイクロペイメントを要求したのか?」という疑問が残ります。
そこにはSNSの持つもう一つの大きな要素、「参加」があるからです。
私たちの実社会において最近大きな話題を呼んだ「参加」の原理は、水曜日のダウンタウンにおける「クロちゃん収監事件」を考えればわかりやすいです。
モンスターハウスという企画を通して散々悪行(非常に簡略化して書いてますが)を見せた安田大サーカスのクロちゃんを「収監するか?しないか?」テレビ投票で選ばせ、収監されたクロちゃんを一般に無料解放して見世物にした結果、警察が出動するまでの騒動に発展したできごとです。
騒動自体の賛否はさておいて、ここにはSNSによる「参加」効果の絶大さが現れていると思います。
ただ単にテレビのコーナーを眺めている受け身の態度から、自分自身が一タレントの運命を決めることができ、さらにはその結果を見に行けるというイベントは、一時ツイッターで世界トレンド1位になるまで反響を呼びました。
ひとつの企画がSNSを媒介して増幅し、実際に人々を行動に駆り立てたのです。
これと同じことが『3年A組』の人質事件においても言えて、出来事としては「一人の教師が生徒を人質に立てこもった」だけの話ですが、その様子をSNSを通して生中継できるようにし(このドラマの場合は内通者の投稿およびテレビの報道がそれにあたります)、見ている人たち全員が参加を迫られる状況にあるわけです。
では、この生中継を通してドラマ世界でのSNSの人々が起こす行動としてはどんなものが考えられるでしょう?
これまでたった2週しか経っていないにも関わらず、3Aの生徒たちは互いに無関心で、想像力に欠け、あげく一人の同級生を自殺にまで追い込んでいるという、なかなかの「ひどさ」を世間に晒しています。
そしてそれを見ている人たちは、「彼らを救う?救わない?」というある種のジャッジを手元のスマホによってすることができるのです。
つまり、今後3A生徒が立ち向かうべき相手は、柊先生どころか世間一般の好奇心にまで広がることになります。
こうなってくると俄然話が変わってきますよね。
完全なる密室であったはずの教室が、「世間にとって自分たちは救うべき価値のある人間だ」と示すためのショーケースに変貌するわけです。
ここまで話が拡大してくれるんじゃないかと考えています。
牙を向けられているのは誰?
先ほどのオープニングでの日付の欄に書いていた、「ドラマと現実世界の時間軸をリンクさせるもうひとつの理由」についてです。
柊先生はドラマ内でのSNS利用者に向けた要求を行いました。
そしてその構造は、前の段落で示した通りです。
けれど誰かの醜聞を誰でも見られる場所に晒して、スマホ上で「この人を許す?許さない?」とジャッジさせるなんて、すでに私たちの世界では日常茶飯事になっています。
となると、この人質事件においてテレビ画面上だけでなく、現実でも全く同じ現象が起きたらどうなるんでしょう。
最終回の一個前になって、「この人たちを生かすか、殺すか」の2択を私たち視聴者に委ねることになったら……。
ドラマの最終回での日付と現実世界の日付がリンクしていることの重みが増して、平成最後にとんでもないドラマが現れた、とある種の伝説になるんじゃないでしょうか。
そうなってくれたらいいなぁなんて妄想を広げつつ、これからの展開に期待したいと思います。