晶と恒星の二人が、日常を破壊する爆弾を投げることで「獣に支配されない人生」を選択した最終回。
鐘は鳴ったのか、鳴らなかったのか?
二人はこれからどうなるのか?
明確な答えを出さないこと自体が一つの答えとなっていたこともあって、ドラマ終了後も様々な考えがSNSを中心に飛び回っていました。
このブログでもこれまで考察をあげてきましたが、これもついに最終回となります。
それでは、考察行きましょう。
あらすじ
晶と恒星はついに結ばれた。
しかし後日5tapで再会すると、恒星はあの夜のことを「気にしなくてもいい」と言い、晶は「後悔している」と言う。お互いがお互いの関係を疑っているのだった。
会社を休んだ晶を心配して5tapを訪れた松任谷と上野は、九十九クリエイトの状況を伝える。退職者が続出しており、九十九は晶の激怒から何も学んでいない様子だという。
そこに朱里を探す京谷が訪ねてくる。彼女の居所は三郎が知っていて、会社での一件以来音信不通となっていた朱里はネットカフェに身を寄せていた。
居場所を知ってホッとする一同。その日の帰り道、京谷は晶にもう一度やり直したいと伝える。
翌日、カイジと呉羽から連絡を受けた恒星と晶。二人はホテルに身を隠していて、呉羽が謝罪会見を開くつもりなのだという。
マスコミの前に姿を現した呉羽は取材陣の悪意のある質問に呆れ、彼らをケムに巻いて去っていく。その様子を見ていた二人は、自分たちは呉羽やカイジのようにはなれないかもしれないが、「人に支配される人生はごめんだ」と爆弾を投げる決意を固める。
翌日、出社した晶は九十九へのこれまでの思いを伝え、辞表を提出する。会社にすり減らされて死ぬ前に辞める言い放つ晶を見ていた社員たちは、九十九に対して初めて不満の声をあげた。
恒星は元上司を呼び出し、これまで関わってきた粉飾を告発することを伝える。全てを失うことになると警告されるが、「逆です、取り戻すんです」と返す恒星。彼は税務署に全てを暴露すると、事務所をたたんで姿を消した。
仕事を辞めた後しばらく休養していた晶。自宅を訪れた京谷に、よりを戻すつもりはないと伝える。その後一人で飲んでいると、恒星から電話が。翌日に行われる5tapの周年パーティで一緒に飲もうと晶は言うが、恒星は答えない。
5tapで行われた周年パーティには、朱里や三郎、九十九クリエイトの面々まで来るが、晶と恒星の姿はない。業を煮やしたタクラマカンは、この日のために用意していたヴィンテージビール、ナインテルドキャッツを開ける。
晶と恒星は那須高原のブルワリーにいた。ナインテルドキャッツを開け、これからの人生について話す。
その後二人は、教会に向かった。以前は何かが変わるかもしれないと思って期待した鐘の音は、もう二人には必要ない。鐘が鳴っても鳴らなくても幸せに生きていけることを願って、晶と恒星は手を繋ぐ。
最終話登場クラフトビールとその元ネタ
のぼりべつ醸造の銀鬼IPA
物語冒頭、「大後悔」した二人が飲んでいた苦いビール。
元ネタ:のぼりべつ地ビール 「鬼伝説 金鬼」
北海道の地ビール「鬼伝説」のフレーバー、金鬼。
ラベルの鬼がめちゃくちゃかっこいい。
ナインテルドキャッツ
物語の最後に登場する、周年を祝って開けられたヴィンテージビール。
以前晶が飲むことができなかったものですね。
元ネタ:那須高原ビール ナインテルドフォックス
http://nasukohgenbeer.ocnk.net/product/38
最終回が終わってすぐに注文に走ったのですが、同じことを考えている人が大量にいたらしく、欠品していました。「けもなれ」効果、おそるべし。
それぞれの「獣」、それぞれの道
最終回では、これまで示されてきた「獣」に5人の主要メンバーがどう立ち向かうかが話の中心になっていました。
その解決が示されていった順番に見ていきましょう。
呉羽:自らを叩く「世間」の空気
過去の恋愛関係を元の事務所にリークされ、週刊誌に掲載された呉羽。
彼女自身は気にもとめていないものの、橘カイジの事業に影響が出るということで別宅に軟禁されたりしていました。
彼女にとっての「獣」は、人より個性的だったり幸せそうだったりする者を叩こうとする「世間の空気」。この考察にもたびたび登場していたZOZOTOWN前澤社長と交際している剛力彩芽が世間からどんな空気感で見られているかをイメージしてもらえれば、呉羽の立ち位置がわかるはずです。
本来は呉羽とカイジ二人の問題であるにも関わらず、なぜか謝罪を求める世間。
男性関係がクリーンでないことをあげつらうことで「バッシングするお墨付き」を与えられた人々が、彼女に立ちはだかった「獣」でした。
「世間を騒がせたことに対する謝罪は」と問いかける記者に、「騒いでるのはあんたらでしょ」と言い返す呉羽。
これが彼女なりの「獣」たちへの回答でした。まさしく呉羽らしい答えですよね。
いつまでたっても誰かを叩いて足を引っ張ろうとしてくる「世間」に対して、最終的に呉羽とカイジは日本を捨ててオーストラリアに移住します。
晶たちが職場というコミュニティを変えたことと比較すると、呉羽は国というより大きなコミュニティから離脱したわけですから、ものすごいフットワークですよね。
この呉羽の謝罪会見(?)を見たことで、晶と恒星も動き出します。
晶:九十九剣児
晶に関してはその役柄を深掘りしていくと、演者である「新垣結衣もしくはガッキー」自身も獣の一種となっていたりするのですが、ここでは物語上の獣に関して触れておきます。
社員の言葉を一切聞かず、歯向かうと「お前の代わりなどいくらでもいる」とまで言ってしまう会社の社長九十九。
ついに晶は辞表を提出し、社員全員が思っているけれど口には出せなかった不満を伝えます。
そしてその姿を見た松任谷や佐久間、他の社員もふさがっていた口を開くことができるようになり、上野は「深海からの卒業」を宣言。
こうして「笑顔が張り付いてキモイ深海晶」の根元となっていた九十九クリエイトジャパンから解放されました。
上野の卒業宣言のシーンは、「おめでとう!」と拍手が重なって、なぜだかエヴァの最終回みたいなテンションになっていましたね。
それはさておき、会社を辞めた後の晶の表情は本当に柔らかく、このドラマを見ていて久しぶりに「新垣結衣、かわいい!!!」と思えました。
番外編:九十九の原節子的女性像について
九十九が敬愛する女優、原節子。
「永遠の処女」という異名を取る彼女をデスクトップの壁紙にしていて、彼自身が晶に求めていた役割も「無理な要求に嫌な顔一つせず応える女性」だったことから、男性からの女性に対するあまりに一方的な女性観を「原節子的女性像」と名付けていました。
(第9話の考察に詳しく書いています)
しかし、最終話のラストでちらっと衝撃的な言葉を九十九が発していました。
「原節子はタバコも吸うし酒も飲む。特にビールが大好き。それもひっくるめて好きなんや」
九十九は清廉潔白な女性像を求めて原節子を好きになったわけではなかったのです!
これはもうなんというか、びっくりしたとしか言いようがありません。
このセリフ一つで「けもなれ」が暗に示していた、「晶=原節子=ガッキー」論がひっくり返るわけではありませんが、九十九の価値観もまた一筋縄ではいきませんでした。
恒星:粉飾決算
恒星を数年来悩ませ続けてきた「獣」、粉飾決算への加担を断ち切ったシーンは「けもなれ」屈指のカタルシスがありました。
屈指というか、ここまで本当に視聴者含めもやもやとかやり切れなさを溜め込んできていただけに、
「一発殴っていい?」→ドゴ!!!→走り去る恒星の笑顔
の一連の流れは胸がすく思いでした。
これを引き換えに恒星は公認会計士としての信頼を失い、これまで積み上げてきた人生をリセットせざるを得なくなったわけですが、彼自身は
「取り戻すんです」
と表現していました。
きっと晶と結ばれたこともそうですが、記者会見を見て呉羽のカイジへの愛情が揺るぎないものだと悟ったことも人生をやり直す決心を固めた要因だったのでしょう。
物語を通して喪失感に満ちていた恒星の人生。それは「人に支配されていた」結果でした。
晶と共に「獣」に搾取されない人生を選択したことで、これからの少しずつ取り戻していくことができるのでしょうね。
京谷:無意識下の理想的女性像
脚本の野木さんによると、京谷は「平均的な日本男児」だそうです。
それは九十九と同じく、「なんでも笑顔で応えてくれる自分に優しい女性」を求める男性心理のことを言っているのだと思います。
このドラマの放送中にあるものを見て面白いなと感じたことがあります。
何かと言うと、「けもなれ」に対して批判的な文章を書いているwebライターの大半が男性だったことです。
しかもその批判内容は、
「こんなガッキー求めていない」、「可愛くないガッキーを見て視聴者が離れる」など。
これ、京谷が第7話あたりで言った「今の晶可愛くない」発言とまったく同じ構造ですよね。
そもそもけもなれ自体が、男性優位的な価値観に対する女性からのカウンターを下敷きにしている以上、新垣結衣がそういう男性に歯向かう「可愛くない」役になることは当然のこと。
「けもなれ」に批判的な記事を読むと、「平均的日本男児」たる「極端な京谷」の言葉がごろごろ出てきて、野木さんはこういうものも含めてドラマにしたんだなと考えが深まってなかなか面白いです。
当の京谷自身は、晶と別れたことでこれまでの自分が晶に求めすぎていたことを自覚して新たな一歩を踏み出そうとしていました。
「深い海のように寛容な男性になりたい」
晶の苗字を念頭に入れたようなこの言葉で、京谷が変わろうとしていることがわかりますよね。
朱里:働いていないと人の役に立たないという世間の価値観
すごく大雑把に言ってしまうと、朱里が戦っていたのは「働いていないと人に必要とされない」という自分の中にある周囲の目線でした。
最終回で再びネットカフェに引きこもりをしていた時、彼女が見ていたのはネットで中継される呉羽の謝罪会見。
呉羽に対する罵詈雑言コメントが溢れる中で、朱里自身は「意外といい人らしいよ」などと書き込むことで、「可視化された匿名の目線」に対してささやかな抵抗をしていたりしました。
4年間の引きこもり生活を経て久しぶりに社会に踏み出した彼女が飛び込んだのが「ツクモクリエイトジャパン」。これは自分と対照的にも思えた晶への対抗心もあったのでしょう。
しかし結局は自分にとって合う場所ではなく、心を傷つけられてしまいました。
そんな彼女を救ったのが、「けもなれ」の中で最も自分の人生を生きている三郎。
朱里自身もまた、必要とされる場所を求めてラーメン屋から人生をリセットするのでしょう。
最後には彼女を傷つけたはずの九十九と肩を叩き合いながら笑っていた姿が印象的でしたね。
「獣になれない私たち」
このドラマのタイトルは、最初は「獣になれたら楽なのに、獣になれない私たち」という考えからスタートして、最後には「獣にならない私たち」として生きる道を選択して終わりました。
自由に生きる姿としての「獣」に憧れていたけれど、よくよく見てみればそれは他人を搾取しながら孤独に生きる姿でしかなかった。
では、「獣になれない私たち」はどうしたらいいのか?
獣にならず、手を繋ぎあって人間として生きる
これがドラマを通して描かれたテーマではないかと思います。
他人を食い物にしながら孤独に暮らす獣の生き方ができない私たちは、群れを作って生きていくしかない。
それは弱い生き方かもしれないけれど、自分の人生を獲得するための「獣」への対抗策でもある。
晶と恒星が手を繋いで終わるラストカットは、そんな意味があるような気がしました。
というわけで、最終回は主要登場人物5人が行き着いたゴールと、タイトルに込められた意味を考察しました。
これで「けもなれ」の考察は終わりです。これまでお付き合いくださったみなさま、今回だけ読んでくださった方も、本当にありがとうございました。
これからも「執拗に考察」シリーズは続けていきたいと思いますので、次クールからも読んでくださったら嬉しいです。
では、この辺で!