現役テレビ局員の映画・ドラマ研究記

在京キー局で暗躍するテレビマンが送る、読んだら誰かにこそっと話したくなる映画・ドラマの徹底考察! ※本サイトの見解は全て筆者個人のものであり、特定の会社を利するものではありません。

「獣になれない私たち」 最終話 感想・レビュー

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あの第九話の絶望的な状況から、ここまで美しい最終回が見れるなんて全く予想していませんでした。毎週水曜日の楽しみが終わってしまい、もはや余韻だけで書いている状態ですが、速報レビュー書いていきます。

これまでのけもなれ速報レビューはこちら!

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最終回にしてやっと始まった二人

 まずは、ついに一夜を共にした晶と恒星。

お互いの傷を慰め合うような形となったことから、二人して「あれは何かの間違いだったのかもしれない」と言ってしまうような始末。

というか、この段階になってほぼ初めて二人の恋が本格的に動いたことを思うと、普通のラブストーリーだったらここからドラマが始まるんですよね。

でも、お互い本当に本当に様々な事情があって一歩踏み出すことができない。

「堂々巡りだぁ〜」なんてことを言っているうちに9週間も経ってしまっていました。

私は(というかここまで見続けてきた私たちにとっては)、このどうにもこうにも踏み出せない心の動きを見ているのが楽しくて仕方がなかったのですが、展開が素早くパンパン変わっていく今のドラマのトレンドからすると明らかに異色。

さらに脚本の野木さんの前作があの超高速ドラマ「アンナチュラル」だったことを考えると、振り幅がどれだけあるんだという話ですよね。

でも、こんな風に「遅いドラマ」が地上波にあってもいいと思います。

やきもきしながらも、今私たちが苦しんでいるようなことをリアルにすくいとってくれるような「けもなれ」は、見ていて確かに辛い場面も多くあった、けれども、

「あぁ、晶も恒星もどこか自分たちと地続きなんだ」

そう思わせてくれることが本当にたくさんあって、救われる気持ちにもなりました。

 

結局二人は獣になれたのか?

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これは考察の部分に少し食い込んでくる話でもありますが、タイトルにもなっている「獣」に二人は結局のところなれたのか?という話です。

結論から言うと「まったくなれなかった」わけですが、これまで見てきた私たちの感覚を言葉にするとなると、

獣に支配されない人生を選択した

というのが今のところの結論でしょうか。

確かに中盤までは、呉羽やら姿の見えないカイジやらを参考にして、「獣」側だと思われる(実際には違ったわけですが)陣営に回ろうとしていましたが、後半になってくるにつれて、「獣」とは、周囲の人間を搾取する人々のことだとわかってきます。

そして、第九話でそれぞれが「獣」によって追い詰められ、最終話ではまず呉羽が第一の獣と対峙しました。

それは、「世間」という姿の見えない同調圧力でした。

呉羽は謝罪会見という形を取って、人より目立ったり幸せそうに見える者を狩ろうとする「世間」に向かって思いっきり中指を立てました。

それは「獣」とはまた違った生き物である呉羽なりの対抗手段だったのでしょう。

そして晶と恒星がその姿を見て、自分たちも自らを縛っている「獣」を倒そうと決意したわけです。

 

晶は会社を辞め、復縁を願った京谷に本当の別れを告げました。

恒星は粉飾を告発し、会社に出向いて一発お見舞いしました。

 

その結果二人は今まで築いてきたものを失ってしまいましたが、その後の二人の表情は本当に晴れやかなもの。

このドラマで9週間ほぼ皆無だった、「上位者を打ちのめすカタルシス」を最後の最後に見せてくれました。

 

鐘は鳴るのか、鳴らないのか

そして本当に美しいラストシーン。第二話で聴けなかった鐘の音を二人でもう一度聞こうとする場面。

結局鐘は鳴りそうで鳴らず、この後鳴るのかもしれないし、鳴らないのかもしれない。そういう終わり方になりました。

でも、鐘が鳴らなくても二人は自然と手を繋いでいて、未来に少し希望が見える、、かもしれない。

そういう感じでしょうか。

 

ここの場面の何が素敵かと言うと、「鐘が鳴るかどうかはどちらでもいいじゃないか」と暗に示していることですよね。

第二話で二人が教会を訪れた時は、「鐘が鳴る音を聴けば獣になるヒントが得られるかもしれない=何か変わるかもしれない」という期待を持ってのことでした。

しかし最終話で鐘を待つ二人は違います。

「鐘は鳴らないかもしれないけれど、そういうのを待つ関係もいいよね」。ここの解釈は本当に人それぞれでいいと思います。

大事なのは、「鐘が鳴る」という外部からのきっかけ、つまり周りが変化してくれることを待っていただけの二人が、自分から変化することで鐘を待つことをやめた、ということです。

これは本当に大きな変化で、もしかしたら「鐘を待つ」とは、「獣に支配される」ということとイコールで繋がっているのかもしれません。

 

鐘が鳴っても鳴らなくても、周りがどう思ってもいい。自分たちが人間として生きていれば、いつか心の中で鐘が鳴るはず。

 

サブ主題歌がここぞとばかりに「鐘が鳴るはず」と歌い上げていたところが粋な編集でしたね。

 

生き続けるミコトの精神

もう一つ「けもなれ」のエンディングで印象的だったのは、これまで出てきた人物みんながそれぞれの新しい場所で「乾杯」をしていたことです。

それぞれがそれぞれに、九十九だって傷ついた3ヶ月間だったと思いますが、みんなでお酒を飲めばまた新しい何かが生まれる。

これは、「アンナチュラル」で石原さとみ演じる主人公ミコトが言っていたセリフ、「私はうまいもんでも食って忘れるかな」

 に通じるものがありますよね。

けもなれを貫いてきたお酒というモチーフが見事に活かされたシーンでもありました。

日テレドラマ

というわけで、全10話、毎回見ごたえたっぷりのけもなれでしたが、ついに今週で最終回となりました。

週末には最後の考察をあげますし、難しいこと抜きで普通に「好きな場面ランキング」とかもやりたいですし、供養の意味も込めて「筆者が振り返る意味不明だった考察ランキング」も書きたいです(朱里のアリスがどうとかいう考察なんだよアレ、、、)。

今年いっぱいくらいは晶たちの世界の余韻に浸らせてくれ!!


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