ラース・フォン・トリアーの甥っ子、ヨアキム・トリアーが描く少女の目覚めーーー。
この触れ込みだけで期待感が高まる映画「テルマ」。公開前からも話題でしたが、公開後はその期待に違わぬクオリティの高さで人気を呼び、上映館が拡大しているようです。
予告編では「新たな北欧ホラー」なんてキャッチがつけられていますが、どちらかと言うと「サイキック青春映画」と表現した方が適切かもしれません。
作品情報
テルマ
上映時間:112分
監督:ヨアキム・トリアー (「リプライズ」、「母の残像」)
製作国:ノルウェー・フランス・デンマーク・スウェーデン合作
主要キャスト:エイリ・ハーボー(テルマ)
今作が演技初挑戦の24歳!
アカデミー賞外国語映画賞 ノルウェー代表作品
あらすじ
ノルウェーの田舎町で、信仰心が強く抑圧的な両親の下で育ったテルマには、なぜか幼い頃の記憶がなかった。そんな彼女がオスロの大学に通うため一人暮らしを始め、同級生の女性アンニャと初めての恋に落ちる。欲望や罪の意識に悩みながらも、奔放なアンニャに惹かれていくテルマ。しかし、やがてテルマは突然の発作に襲われるようになり、周囲で不可解な出来事が続発。そしてある日、アンニャがこつ然と姿を消してしまい……。(映画.comより)
抑えられない青春時代の衝動
この映画はホラーという体裁をとってはいますが、内容としては思春期の少女の苦悩や葛藤を描いた青春モノと表現した方が近いでしょう。
田舎町に暮らしていたテルマが都会オスロで初めての一人暮らしをスタートさせ、お酒を知り、タバコを知り、恋を知る・・・。今まで経験したことのない感情と、それを「悪」としてきた幼い頃からの両親の教えの間で葛藤する姿を物語は追っていきます。
テルマの苦悶が増えていくにつれて、やがて彼女に眠っていた不思議な力が目覚めてしまい、彼女自身もその力の扱い方に悩み、様々な人たちを巻き込んでいきます。
彼女の力はなんなのか?幼い頃彼女に何があったのか?テルマをひたすらに恐れ、押さえつける両親は何を知っているのか?
そういった謎が次々と提示され、息もつかせないサスペンス映画にもなっているのです。
また、本作を彩るトピックの一つとして挙げられるのが、監督の出自。彼の叔父は、かつてカンヌ出禁になった強烈なエピソードと、それに劣らずカロリーの高い映画を作り続ける鬼才・ラース・フォン・トリアーです。
私の中では、中学時代に「メランコリア」を見て、そのあまりの陰鬱でどうすることもできない内容に戦慄を覚えた印象が根強く残っています。いわゆるトラウマ映画です。
それだけに甥っ子の彼もその作風を受け継いでいるのかと思っていたのですが、おそらく映像的な感性だけが似通い、その他はまったく似ていないと言って良いでしょう。
前述の通り、内容としては青春映画の色が濃いですからラース・フォン・トリアー的な要素を苦手な人でもまったく気にせず見ることができます。それでいて、映像の美しさは叔父譲り(北欧の人は映像感覚が冴えるのでしょうか・・・)。特にファーストカットは見た瞬間目を奪われます。美しい映像に気を取られているとその直後とんでもない目に遭いますのでご注意を。
また、演出の一つとしてたびたび「光」の表現が出てきます。これはテルマの能力が覚醒する予兆となっているのですが、このビカビカ具合が素晴らしいです。デヴィット・リンチっぽさを感じますし、おそらく影響を受けていると思われます。
以下、ネタバレ。
テルマの発作とは何なのか?
テルマの感情が高ぶるたびに彼女を襲う謎の発作。劇中では「心因性非癲癇発作」という診断が下されます。医者によると、
「ストレスや幼い頃のトラウマなど何らかの理由によって癲癇のような発作が起こるが、原因はわからない、心の持ちよう次第です。」
と言います。つまり、医者でもよくわかんないということです。わからないけれど医学的に名前があって、それが「心因性非癲癇発作」なのですが、テルマがその病名をググると恐ろしい検索結果が出てきます。
それは、魔女狩りや異端審問で拷問された人たちの画像。
古くからこういった原因のわからない発作は、「頭のおかしい人がなる病気」と片付けられがちだったのです。
「心因性」の言葉はかなり幅広く使えて、検査してどこも異常がないとなると、「心因性のものですから少し様子を見ましょう」と医者は言います。そんなことを言われると素人の私たちとしては何も言い返すことができず、見捨てられたような気持ちになるものです。
テルマの場合は、同級生の女性アンニャに恋をしたことが周囲から見た「頭のおかしい」点となって彼女を苦しめます。厳格なキリスト教信者である両親の教えからすると、同性愛は「異常」。テルマにとって発作は力の目覚めですが、周りから見ると同性愛者の異常な反射として捉えられてしまいます。
つまりこの映画は、青春の発露がたまたま同性愛に向いたために周囲の人々から排除されそうになったテルマが、自らが持つ不思議な力を使ってそれらに立ち向かっていくという話なのです。
謎が深まるラストは妄想か?現実か?
好きだったはずのアンニャを消滅させてしまったテルマは、両親の待つ実家に帰り、悩みを打ち明けます。すると父親はテルマの幼少期にまつわる衝撃的な事実を語ります。
家族には二人目の子供がいたが、幼い頃のテルマが力を暴走させた結果、子供を殺してしまった。彼女は「自分が望んだことを叶えてしまう」力を持っていて、それが幼少期に疎ましく思った弟を殺害するにまで至った。
「自分が望んだことがすべて叶う」力と言われると、映画全体を貫いてきたアンニャとの恋まで偽物だと考えることもできます。
その証拠に、テルマが初めてタバコを吸うシーンで、アンニャに愛撫してもらったテルマの記憶は実際には彼女が自慰行為に及んでいただけの妄想だったことが一瞬だけ出てきます。
しかし最後には消えたはずのアンニャが復活し、仲睦まじい二人がキャンパスを歩く清々しいカットで映画が終わります。それはテルマが力を使った結果の幻想なのか、それとも二人の感情は本物なのか。その判断は観客にゆだねられます。
一つだけ確かなのは、テルマは自分の恋を、様々な障害を乗り越えて叶えたということです。テルマの表情は、冒頭の何かにおびえたような顔から、最後には一変して爽やかなものになっています。
少女の恋の行く末を、超能力的な力を通して描いた作品としてブライアン・デ・パルマの「キャリー」がありますが、本作もそれに負けないほどのインパクトを持った傑作と言えるのではないでしょうか。