現役テレビ局員の映画・ドラマ研究記

在京キー局で暗躍するテレビマンが送る、読んだら誰かにこそっと話したくなる映画・ドラマの徹底考察! ※本サイトの見解は全て筆者個人のものであり、特定の会社を利するものではありません。

「あなたには帰る家がある 第六話」感想・レビュー

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 春クールも折り返しを過ぎ、ちょうどクールが動き始める頃から始まったこのブログ運営も慌ただしくなってきました。多分今クール分書き切ったらペース配分とか書くドラマの数とかも適正数がわかってくると思うので、リアルタイム更新とは行きませんでしたが、頑張って書いていこうと思います(なんの話だ)。

 

 さて、ついに全員に浮気の事実が発覚してから中間ポイントをターンした「あな家」ですが、今週さらに密度を増して行きましたね。

 

感想:太郎が影の主人公だったのか、、、、

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ここまで渋いカットが与えられる太郎というキャラクター、、、!

 正直、狂言回し的な役割しか担っていないと思っていた太郎ですが、第五回、第六回と回を重ねていくにつれて様々な側面が明らかになっていきましたね。第四話くらいのレビューで私は、「旧来的な家父長制の強い夫婦関係vs現代的なパートナー制の強い夫婦関係」という2つの価値観の戦いだ、という風に見立てていましたが、それをさらに超えていくような太郎のキャラクターが描かれていました。

 

秀明と太郎、二人の「男性性」の違い

 前回までのレビューで私が多用していたワードに、「男性性」、「女性性」がありました。一話のレビューで秀明が浮気した理由に「男性性の回復」を挙げ、その後太郎の目的として「損なわれた男性性の回復」と言っていましたが、実はこの二つ同じ言葉ですが使っている意味が違っています。(使いやすい言葉なので乱発していた節はすごくあります、、、)この二人のキャラクターを理解する上でこの違いは重要だと思うので少し考えてみましょう。

 秀明における「男性性」とは、まさしく「男性として魅力がある」ことを指します。一話の時点で夫婦関係に空っ風が吹いていて、真弓が最近言っているように、秀明のことは「もはや男として見れない」わけです。そこに、太郎という男に支配される一方で、徹底的に男性を立てることに特化している綾子に出会うとどうなるか。自分が魅力的な男である、と再び「女性に対しての男性」という意識が復活しますよね。つまり秀明側で使っていた「男性性」とは、有り体に言ってしまえば「女性からモテる男」の意味です。これが彼にとっては致命的な遊びになってしまったわけですが、後に「家族の中での父」、「妻の大事なパートナーとしての夫」という二つの立場にかつて失っていた「男性性」を再発見することですでに充足されています。

 

 対して太郎の「男性性」は、まったく満たされていません。「あな家」が面白いところは、実は主人公側の精神面での物語はとっくのとうに終了しているのに一向にドラマが終わる気配を見せないところです。

秀明側のストーリーは、浮気モノとしてはよくあるパターンだと思います。浮気をしたが、実は家族の中に本当に大切なものがあって、そのことに気づいて反省する。めでたしめでたし。これだけでも感動するドラマは生み出せると思いますが、「あな家」はまったくめでたくない。太郎がいるから。

 

妻に母性を求めることはできるか?

 太郎に関してものすごく印象的なセリフが今週もありました。それは物語序盤、布団で眠っている綾子に、帰宅した太郎が顔をじっと見つめてから言ったセリフ。

 

「母さん、風呂沸いてる??」

 

これです。小学生の坊やが言うようなセリフを太郎は大声で言うのです。しかもその時の声色は、先週の「俺は家を買うぞ!!」の時と同じく、一種の狂気じみた響きを帯びていました。このシーンで、太郎は妻に対しては強権的に接する一方で、未だ母親に依存しているとも見ることができないでしょうか。そしてそれは、太郎が綾子に対して「母性」を求めていると言えると思うのです。

 

これが太郎における「男性性」をさらに複雑にしていると思います。

まず第一の意味では、以前から指摘している「旧来的な男性的欲求」が満たされることです。これは亭主関白で夫に奉仕してくれる妻がいて、自分はその代わりに妻を働かせたりせず、着るものも食べるものも全て与えて、一軒家まで買う。まさしく伝統的な「男性の行い」をすることが太郎にとっての「男性性」の獲得です。

そして今週、というか今までもなんとなく描かれてはいたのですが、明確化されたのは妻の中に「母性」を見出す点。これ、過去的な「男性性」にはセットで描かれてきたものです。一番わかりやすい例えが、「うる星やつら」のラムちゃんです。

 うる星やつらの世界観は、簡単に言えば主人公の女ったらし諸星あたるラムちゃんという本命がいるにも関わらず毎回毎回浮気し続ける、という簡単なものです。普通だったらラムちゃんは怒り狂ってあたるを突き放すところですが、大抵あたるに電撃を流したりの「お仕置き」をするだけで許します。この世界を簡略化すると、ラムちゃんという、何をしても包み込んでくれる絶対的な存在を担保におくからこそあたるが好き放題浮気できる、という構図です。つまり、ラムという母体があるからこそあたるはその中で好きに生きることができるのです。

 これは昔から日本アニメで使われてきた関係性で、ジブリに登場する女性なんてほぼそれです。「風立ちぬ」における、妻直子に対しての二郎の振る舞いなど夫として最低のものですが、飛行機狂いの二郎を包み込む直子という存在がいるからこそ二郎は飛行機を設計し、ジブリの定番である、「飛ぶ」ことができるのです(精神的にではありますが)。この観点から見ていくとジブリ映画は恐ろしいまでにこの構造が繰り返されているので気になった方はぜひ見てみてください。

 話がめちゃくちゃ飛びましたが、太郎が綾子に求めているのは「妻」的振る舞いであり、「母」的な、太郎の行動を無条件で容認してくれる抱擁力だったと思います。それは、この作品上最も太郎が感情を動かした今週の最後の別れのシーンのセリフでよくわかります。

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全部俺のおかげだろ、、、!

 しかし綾子はそれを察知し、「全部あなたのおかげです。って、言ってほしいんでしょ?」とおそらく太郎の誇りを一番傷つける方法を選択します。秀明、真弓夫妻もかなり辛い別れの決断をしていましたが、こっちの別れ方はもっとキツイです。秀明側はお互い仕方がない、とある種の諦めが漂った中でのやりとりでしたが、こちらは綾子から太郎に対する全否定。私はあなたにとって「いい妻」でありたいとも思わないし、さらには全てを包み込む「母」になる気持ちなんてさらさらない。これを伝えたわけです。

 

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 綾子が佐藤家に侵入して、物理的な家庭破壊を行ったことがその後の展開の予兆となっていましたね。このドラマ、本当にセリフにすること、しないことの使い分けが上手だなあと思います。

 というわけで、かなり話が飛んでしまいましたが、太郎のキャラクターはこういう見方もできますよ、というお話でした。来週も楽しみですね、、、!!!