現役テレビ局員の映画・ドラマ研究記

在京キー局で暗躍するテレビマンが送る、読んだら誰かにこそっと話したくなる映画・ドラマの徹底考察! ※本サイトの見解は全て筆者個人のものであり、特定の会社を利するものではありません。

「レディ・プレイヤー1」E.T.から36年、スピルバーグが信じ続けたもの

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 2010年代最高の映画ではないでしょうか、スピルバーグ最新作「レディ・プレイヤー1」!!!全ての映画好き、アニメ好き、音楽好き、ゲーム好きたちに向けられた、最新にして最高の、まさしくエンターテイメントと言える素晴らしい作品だと思います!

 やはりツイッター上を騒がせているのが、作品の中に散りばめられた80年代カルチャーの小ネタ、いわゆる「イースターエッグ」ですね。正直言ってこれを一回の観賞で全て把握することは不可能だと思います。なんせ30秒に一回はセリフの中で小ネタがぶちこまれ、画面上にはそこかしこに80年代カルチャーのアイコンが配置され、耳からも80sアメリカン・ベストヒットが聴こえてくる。脳が溶けます。00年代生まれの私でさえこうなのですから、80年代に青春を過ごした人たちはこの映画を見たらどうなってしまうのでしょうか。膝から崩れ落ちた人が続出するのでは、、、

 さて、そんな風に私も「最高!!!!」とその世界観にどっぷり漬かった観客の一人なのですが、この作品がスピルバーグがたどり着いた一つの到達点だと思うのです。それはひとえに、「ペンタゴン・ペーパーズ」で初期スピルバーグ的創造力が復活した流れと無関係ではないはずです。「巨匠」としてのスピルバーグの極地が「ペンタゴン・ペーパーズ」であるならば、「エンターテイメントの神」としてのスピルバーグがついに見つけた答えこそが、この「レディ・プレイヤー1」なのではないでしょうか。(「ペンタゴン・ペーパーズ」の初期スピルバーグ的側面の復活に関しては過去にまとめたものがあるのでぜひご一読ください)

 

ikem.hatenadiary.com

 

!!!注意!!!

当然ながら、この先は「レディ・プレイヤー1」における様々なネタバレが含まれています。私としては本作はあえて「何も知らない」状態で観賞した方がポップカルチャーの予習などの武装をして見に行くより5万倍楽しめると思うので、ご注意ください。

 

気になったイースターエッグたち

 画面上に映る細々としたイースターエッグに関しては他にとんでもなく詳述している記事があるのでそちらを見ていただければいいのですが、これらはただ単に80sカルチャーファンへのサービスなどではなく、スピルバーグ自身が自らの文化的構成要素に関して言及しているものと見るのもまたアリではないでしょうか。例えば、これ。

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トシロウのアバター三船敏郎の顔!!

 日本人キャラクターとして出てくる森崎ウィンくん演じるトシロウのアバター。「天国と地獄」とか「椿三十郎」とかの頃の年季が入って渋みが出てきた三船敏郎の顔になっていますね。そしてこのアバターが着ている甲冑は、同じく黒澤明監督作品の「乱」で仲代達也さんが演じた将軍の甲冑が元ネタではないでしょうか。

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「乱」に出てくる甲冑!

 この赤みがかったスタイル、トシロウの甲冑は「七人の侍」の菊千代よりかは、「乱」からもらっているのでしょう。そして、この時期の黒澤明の映画製作に対して、スピルバーグは資金的な援助をしています。日本では黒澤の晩年の映画はあまり評価が高くないですが(私もあんまり好きではないです)、「乱」は海外での評判がよく、スピルバーグ自身もこのあたりに黒澤への愛を込めているものと思われます。そして、もう一本がこれ。

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 物語で第二の鍵のステージとなる「シャイニング」です。双子が出てきたシーンは劇場大爆笑でした。本当の映画の中だと気味悪くてマジで怖いのですが、こうやってオマージュされると笑えますね。洋館や、ラストの森の迷路などが完全再現されていて「シャイニング」を一回でも見たことがある人ならばこのステージ中ずっと笑って見ていられる、という「ああ、あの時怖い思いして見ておいてよかった!!」となるシークエンスです。

 もちろんこれはスピルバーグキューブリックの後を引き継いで「A.I」を撮ったことからもわかるように、キューブリックからの影響が濃いことを示していますね。あともう一つ大爆笑ポイントだったのが、これ。

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ハリデーの棺

 序盤に出てくる、VRワールド「オアシス」の創立者、ジェームズ・ハリデーの遺言シーンでハリデーが収められていた棺は、「スター・トレック」で宇宙葬をするときに使用されていたものです。いや、死ぬときまでそここだわる!?というツッコミもさることながら、ハリデーがなんだか満足げに横たわり、むっくりと起き上がるあの感じが最高でしたね。私も死ぬときはこの棺がいいなぁ。ラストは、やっぱりこれ。

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俺はガンダムで行く!!!

 会場大拍手でした。森崎ウィンくんのキャラって、正直なんもしないんですよね。ただこの映画史に残る名台詞を言うためだけに存在するという。でも、この台詞が放たれた瞬間、映画館が「うぉーーーーー!!!!」という叫び声と、拍手に包まれて、そこからはもうみんなが自由に声をあげていい応援上映的な感じになったのが印象的でした。比較的静かと言われる日本人の映画観賞習慣までひっくり返してしまったガンダムは、どれだけすごい存在なんだと。あとは、これを全て「メイドインジャパン」のキャラクターでやっていることが信じられないですよね。このガンダムシーンの状況を一言で説明するなら、『「乱」の甲冑を着た三船敏郎ガンダムに変身して、メカゴジラと戦う』ですから。日本のかっこいい映画のキャラクターとかっこいいアニメのキャラクターが全力でドンパチする、それもハリウッド映画で。なんて、黒澤映画を見まくっていた自分に言っても絶対に信じないと思います。

 そして、「俺はガンダムで行く!」が単なるサービスセリフじゃなかったことも大きいと思います。

 自分たちの理想郷が巨大勢力によって支配されようとしている。それを防ぐために自分の持つ全てをかけて最終戦争に挑む。さぁ、お前の好きなプレイヤーを選べ!!!

 

 「俺はガンダムで行く!!!!」

 

 トシロウは戦争が始まってしばらく時間が経っても参加しないので、仲間のエイトから「何やってんだよ!」と怒られたりします。でも、彼は本気で悩んでいたんだと思います。まずは何のキャラクターで行くか。もしかしたらウルトラの母に変身しようかと思っていたかもしれませんし、ジャミラになって金田さんの無念を晴らそうとしたかもしれない。ジャンルを決定してからも80年代ロボットは幅広いですから、ガンダムが頭をよぎってからも、果たしてそれで本当にいいのか、かなりの逡巡があったのではないでしょうか。そんな心のゆらぎ(妄想)を経てからの、「俺はガンダムで行く!」ですから、「俺もガンダムで行く!」って言いたいですし、私はロッキーバルボアで行きたいです。

 

ジェームズ・ハリデーとは誰か?

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オアシスの創立者、ハリデー

 さて、そんな感じで私が盛り上がったイースターエッグの紹介を終えたところで、本題です。黒澤映画やキューブリック作品からの影響が言及されていたと前述しましたが、それよりも一番「レディ・プレイヤー1」に影響を与えているのは、スピルバーグ自身が作ってきた作品だと思います。オアシスの創立者である、ハリデーは紛れもなくスピルバーグ自身の投影です。

 劇中で彼は、自分が作り出した世界がここまでの影響力を持ってしまったことに後悔を覚えていました。現実があるからこそ、空想の世界が生き生きと輝いてくるのに、今の世界の人々は空想の中にしか生きようとしていない。そんなことがハリデーのセリフに出てきますが、これは「E.T.」などのSF映画を作っていた頃のスピルバーグ自身のことです。そもそも「E.T.」の精神的連作である「未知との遭遇」では、宇宙人との邂逅に夢中になった主人公は、家族を放り投げて宇宙へと旅立って物語が終わります。一方「E.T.」では、父親が家族を捨てた後の世界が描かれ、主人公の少年エリオットがE.T.との関わりの中で、最終的には父親となる存在を回復することで幕を閉じます。どちらも、ファンタジーの中に辛い現実から逃れる夢を見出しているという点で共通していて、それはハリデーがオアシスを作った動機と全く一緒なのではないでしょうか。

 そしてハリデーは共同創設者であるモローと喧嘩別れし、永遠にファンタジーの中にいられるオアシスに対して懐疑的になっていきます。それは、「ミュンヘン」や「プライベートライアン」を監督して以降のスピルバーグの精神が反映されています。この頃のスピルバーグは、「金のために映画を撮ることはやめる」と発言して、80年代に彼が作ったような夢のある世界よりも、現実に起こっている様々な問題を社会に提起するような社会派の映画を作るようになりました。そして、スピルバーグは世界一のSFフィルムメーカーから、世界に名高い「巨匠」へと変わっていったのです。言い方を変えれば、「E.T.」をスピルバーグが撮り続けた末の世界が「オアシス」であり、今の社会の現実が「ミュンヘン」や「リンカーン」をスピルバーグに撮らせたのではないでしょうか。そしてこの流れは、「ペンタゴン・ペーパーズ」まで続いて行きますが、「ペンタゴン」の中では、今までスピルバーグが押し込めていたファンタジーへの希望が、女性への期待という形で表現されていて、実は今作への精神的な助走となっていたのです。その意味で、今作は紛れもなくスピルバーグ監督作品である、と言うことができます。

 

スピルバーグが信じ続けてきたもの

 私は最近までのスピルバーグの映画を見ていて、「彼は心の中から宇宙人を追い出してしまったのではないか、心の底からファンタジーを信じきることができなくなってしまったのではないか」と思っていました。それほどまでに彼はアメリカの政治について、現実の動きについて実際に発言し、そのことについての素晴らしい映画を作り続けていたからです。スピルバーグが作る最新SF映画を劇場で見ることはもうないのだろうな、と半ば諦めていました。

 しかし「レディ・プレイヤー1」でスピルバーグは宇宙人を、フィクションの力をまだ信じ続けていることが明らかになりました。ジェームズ・ハリデーという自分自身を具現化した存在を通して、ファンタジーへの希望を改めて宣言しました。それは、この作品の根底に、「E.T.」があるからです。

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「レディプレ」は「E.T.」の精神的続編だ!

 作品冒頭、主人公のZは現実世界でかなり辛い立場に置かれていることが説明されます。両親は幼い頃に亡くなり、自分をまったく相手にしない叔母とそのヒモの夫の元で暴力を受けたり虐げられながら暮らしているのです。この描写は、両親が子供を相手にしない、という初期スピルバーグ作品の設定をそのまま反復しています。しかしその設定は2045年バージョンに更新されており、叔母とヒモはVR世界にのめり込んでまったく子供の相手をしないという、かなり痛いものになっています。VRに現実とは違う世界ができたら、社会はどうなってしまうのかが予告されているような気がして、ストーリーの序盤から未来はディストピアなんじゃないかと戦慄させられます。

 しかし、Zを救うのもまたVR世界なのです。現実から逃れるための場所として彼はオアシスを選びます。これは、初期のスピルバーグが描いていた世界、つまりハリデーがオアシスを作り出した初期構想段階の世界です。ですが、物語が進むにつれて、その世界が壊されようとしていることが明らかになってくる。現実がフィクションを侵食し始めてくるわけです。これは「ミュンヘン」以降のスピルバーグの世界観。夢のあるフィクションを語るよりも、現実と対峙しなければどうにもいけなくなった。夢を見続けさせてくれない現実がZに襲いかかります。

 

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E.T.を救う少年たちと、オアシスを救う少年たち

 そして、それを守るのは、辛い現実に虐げられてきた少年たちです。これはE.T.を研究材料として利用しようとした科学者たちから救い出したエリオットたちでもあるし、IOIからオアシスを守ろうとしたビッグ5たちでもあります。このように、スピルバーグの世界の中で、フィクションの世界を守るのはいつだって少年たちなのです。彼らはE.T.では自転車に乗って、レディプレイヤー1ではキャンピングカーに乗って、大人たちに歯向い、そして勝利します。

 E.T.では本当の父親はもう帰ってこないのだ、という現実と立ち向かう勇気をエリオットが獲得して物語が終わりますが、今作では「辛い現実と立ち向かおう、そしてその鍵を握るのはフィクションの世界なんだ」とハリデーからのメッセージを受け取ったZがオアシスに休日を設けて人々にリアルな世界の素晴らしさを実感してもらうようにする、という結末が待っています。

 ここに、今作がスピルバーグが自分自身の作品に対してほぼ初めて自己言及した作品となった証があるような気がします。彼は自分自身が作り出した80年代のフィクションの世界を信じることを再び宣言した。スピルバーグの中に、E.T.はまだ確かに存在しているのだと、現実にまだフィクションの力は有効であるのだと、そんなことを言われているような気がして、ハリデーがZに語りかける場面は涙が止まりませんでした。

 これが、私が「レディプレイヤー1」を見て考えたことです。スピルバーグはまだ71歳。この作品でまた新しい境地に踏み込んで、一体どんな夢の世界を見させてくれるのか、本当に楽しみです。