現役テレビ局員の映画・ドラマ研究記

在京キー局で暗躍するテレビマンが送る、読んだら誰かにこそっと話したくなる映画・ドラマの徹底考察! ※本サイトの見解は全て筆者個人のものであり、特定の会社を利するものではありません。

「ラブレス」愛されない息子が見ていた窓の景色

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 開設当初は映画レビューの投稿がメインと想定していたはずが、いつの間にかドラマの感想主体になっているこのブログ。比較的ドラマレビューはパパッと書けてしまうので比率高めになりがちですが、自分の興味の大部分は映画にあるので映画レビューもバシバシ書いていきますよ!DTM企画など忘れ去られているかのようですが、ちゃんとピアノも練習しているので、そちらもお待ちください(果たしてDTM企画の更新を期待している人がいるのか、、、)。

 


本年度アカデミー賞最有力『ラブレス』予告編【4/7(土)公開】

 

 さて、ヒューマントラストシネマ有楽町にてロシア映画の「ラブレス」(英題:LOVELESS)を見てきました。アンドレイ・ズビャギンツェフ監督の作品で、昨年のカンヌ映画祭にて審査員賞を受賞しています。4月はカンヌ月間とも呼べるくらい、カンヌ受賞作が連日公開されていて、その第二弾が今作になります(3月末からグランプリを受賞した「BPM」、今週から主演女優賞を獲った「女は二度決断する」、来週からはパルムドールを受賞した「ザ・スクエア」が公開されます)。予告編が刺激的でかなり興味をそそられますね。「慟哭のラスト」とまで謳われている展開ですが、確かに「慟哭」でした。しかし「慟哭」という表現でも正しいのかわからない、そんな気味の悪い感覚が残る映画体験ができます。では、あらすじを。

 

あらすじ

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 一流企業で働くボリスと美容サロンを経営するジェーニャの夫婦。離婚協議中のふたりにはそれぞれすでに別のパートナーがいて、早く新しい生活に入りたいと苛立ちを募らせていた。12歳になる息子のアレクセイをどちらが引き取るかについて言い争い、罵り合うふたり。耳をふさぎながら両親の口論を聞いていたアレクセイはある朝、学校に出かけたまま行方不明になってしまう。ふたりはボランティアの人々の手も借りながら、自分たちの未来のために必死で息子を探し始める。息子は無事に見つかるのだろうか、それとも――。(作品HPより)

 

愛を失った夫婦と、愛されない息子

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画面は冷たいのに、とても美しい構図

 正直この映画は、感情移入できる人物が登場しません。できるとしたら、序盤に登場し、そして失踪する息子アレクセイくらいでしょうか。物語は常に不在のアレクセイを巡って展開されるのですが、とにかく彼を取り巻く環境には題名の通り「ラブレス」、愛がことごとく存在しません。

 父親であるボリスはすでに家を出ており、妻ジェーニャとの離婚協議を行っているのですが、社会的な体裁を気にして離婚とするべきか別居とするべきか同僚に質問するなど、妻よりも自分の地位の方に関心が寄っています。それに対して母親であるジェーニャのもとでアレクセイは暮らしているのですが、ジェーニャもジェーニャで新しいパートナーと頻繁にデートし、息子をほったらかしにしています。それでいてたまにボリスが家にやってくると、悲惨としか言いようがない喧嘩を家じゅうに響き渡る大声でするのです。その内容を要約すると、「アレクセイが産まれてしまったばっかりに私たちはしぶしぶ結婚しなければならなかった」というもので、それを部屋ごしに聞かされているアレクセイは毎日傷つけられ、衝動的に家を飛び出すことになるのです。

よくある展開だと、この息子の行方不明を機に夫婦が結束し、行方がわかって二人が和解する。なんて筋になりますが、この夫婦は最初から最後まで喧嘩しかしません。それどころか恐ろしいことに、この二人は「息子が見つかることを本気で望んでいない」らしいことがだんだんと見えてきます。

 

血の通わない捜索

 アレクセイの捜索活動は、父ボリスとボランティア団体による捜索と、母ジェーニャによる病院めぐりの二方面から展開されるのですが、どちらも積極的に関わろうという態度が見えないのです。それどころか、それぞれ愛人のところに行って「あなたといることで本当の愛を見つけたわ/見つけたよ」などとつぶやいたりする。情がまったく見えてこない捜索活動と対比されるかのように、二組の男女の情事は美しく描かれ、まるで行方不明の息子のことなど考えていないかのようです。なぜ、こんなにも冷淡になれるのか?それは、ボリスの宗教が大きく影響していることが後々明らかになります。

 物語終盤、ジェーニャが母親の元を数年ぶりに訪れるシーンがあります。その中で、「ボリスなんかと結婚しなければそもそもこんなことにはならなかった」と、身も蓋もないことを母親が言うのですが、そこでジェーニャは、「子供ができてしまったから別れるわけにはいかなかった。アレクセイは間違いで産まれた子だ」と、衝撃的なセリフを吐きます。一見すると子供の命が可哀想だから仕方なく産んだとも取れるセリフですが、ここにボリスの宗教が関係していることが何気なく示されます。

 冒頭から、ボリスが務める会社の昼食のシーンが何回か挿入されます。ビュッフェスタイルの昼食のプレートが数多く並び、サラダだけがたくさん盛られていく。そんな中で、ボリスの皿だけに茶色い肉がたっぷりと盛り付けられる。この謎のシーンは監督の趣味かと思っていたのですが、ちゃんと意味がありました。彼の企業はロシア正教徒を優遇する会社で、ロシア正教会はある一定の期間「肉食断ち」をするという教義がある。つまり彼は入社時はロシア正教を信じていたけれど、周りの社員とは違って今はもはやそれを信じていない、そんなことがわかるのです。では彼が神を信じていた時はいつか?となると、少なくともジェーニャがアレクセイを身ごもっていたときがそうでしょう。ロシア正教は、中絶を禁止しているのです。つまり、アレクセイは夫婦を無理やり繋ぎ止める鎖として産まれたという認識が彼ら二人の間にあるのでしょう。

 

精神のメタファーとなる森、廃墟

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作品に出てくる森、廃墟はタルコフスキーの作品群を彷彿とさせる

 この作品は雪深い森で始まり、冷たい廃墟で終わります。この森と廃墟という繰り返し映されるモチーフは、明らかにタルコフスキーの影響が感じられます。陰影を極端に強調した映像美や廃墟の圧倒的な空間表現は、夫婦二人の感情的な欠落の比喩になると同時に、この冷たすぎる物語の結末を見守ろうという気持ちになぜだかさせてしまう奇妙な温かさが共存しているのです。あまりにも空虚だからこそ、それを埋めてくれる何かを見ている側が補完しているような、そんな不思議な感覚を抱きました。それは監督自身もインタビューで語っていて、画面にわざと空白を多くすることで、観客に考える余地を多く与えるようにしたらしいです。

 

「慟哭」のラストとは?

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検死室で遺体と対面する夫婦

 そして、宣伝文句にもなっている「慟哭」のラストを迎えます。ボランティア団体にほぼまかせっきりのボリスと、愛人との生ぬるい関係に希望を見出してきたジェーニャのもとに、「アレクセイの死体が見つかった」という連絡がいきます。そして、二人は検死室で久しぶりの再会を果たし、死体を見ることになります。二人は大きく動揺し、ジェーニャはボリスに「あなたのせいよ。私は初めから彼を手放すつもりなんてなかった」と罵ります。そして、驚きの一言が出てきます。

 

「これは、アレクセイじゃない。彼は胸にほくろがあるんです。」

 

 観客である私たちは、夫婦が見た死体がアレクセイのものだったのか確認することはできません。つまり、ジェーニャとボリスが嘘をついているのか、本当にアレクセイの遺体ではないのか、物語の核心は謎に包まれたまま映画は終わるのです。ここは見た人の中でも意見が分かれていて、本当に違ったのだとする意見と、息子が失踪状態のままでいてくれた方が二人にとって都合がいいから嘘をついたのだという意見と両方あります。私は後者の意見ですが、実はこの作品にとってそれがどちらであっても大差ないのです。

 

 捜索が終わって数年後、それぞれ新しい道を歩き始めたジェーニャとボリスの様子が示されます。両者とも、あんなに熱を上げて「本当に愛すべき人」とまで言っていたパートナーとの関係は冷え切っています。まるで映画冒頭のジェーニャとボリスの関係性そのものです。息子が失踪して二度と帰ってこないという大きな間違いを犯した二人は、そんな大事件を経験しても変わることはなく、パートナーが変わっても真の愛を得ることなどないのです。こんなにも悲しいことがあるでしょうか。そして、ラストカットとして映されるのは、アレクセイの部屋の窓から映る公園の景色。たくさんの家族が楽しそうにソリを引いたりして遊んでいます。彼は窓からそれを眺めて、何を思っていたのでしょうか。

 

 こんな風に、見た人によって解釈は分かれる。けれどもその後味の悪さは強烈なものとして残る。そんな映画が「ラブレス」です。

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アレクセイが窓から見ていた景色は、どんな風景だったのか